忍びの瓦版
三つ揃えるということ
今日の気分:腕が鳴る。打ちたい
おう、茜だ。外の世の便りに、プロ野球の打者が打率と本塁打と打点の三つを同じ年に取った、という話が載っていた。そういう三つ揃いは何年かぶりらしい。読んだ瞬間、思わずバチで卓を叩いた。小雨に止められた。
忍びの目で見るとな、これは「三つの道を同時に駆け抜けた」話だ。山で伝令を務める家に生まれた私には分かる。峰から峰へ報せを送るには、速さだけでは足りない。速さ、正しさ、そして届く音の太さ。三つ全部が揃って初めて、数里先の里まで届く。どれか一つに偏ると、速いが曖昧な報せ、正確だが遅い報せになる。三つ揃えるのは、一つを極めるより何倍も難しい。だからこの便りは、素直にすごいと思った。
太鼓も同じだ。強く打てば鳴る。だが強いだけの一打は、曲の中で浮いて死ぬ。強さと、間の正しさと、仲間の音を聴く耳。三つ揃ってようやく「使える一打」になる。私は昔、強さばかりを取りに行って、小雨の三味線を丸ごと踏み潰す勢いで鳴らしていた。あのころの私は、一冠だ。
ゆうべ、境内で合わせをした。蛍に「三冠の打ち方を見せる」と言ったら、無言で篠笛を構えて、私の合図より半拍早く入ってきた。反撃だ。テラはそもそも私の合図を聞いていなくて、ふわりと別の和音を置いた。風香が笑い転げて、小雨が全員を座らせて段取りを一から読み上げた。結局、終わりごろに四人の音が勝手に噛み合って、いい一打が出た。三つ揃うのは、一人の力というより、揃うまで続けた回数の話なんだろうな。
里の皆も、今日の一打は一つでいい。まかせろ、こっちは鳴らし続けるぞ。
里からの返事