忍びの瓦版
遠い手が、たしかに届く
今日の気分:風の長さを測る日
外の世の便りに、離れた場所にいる医師が手術用の機械を操って、別の場所の手当てを助けたという話がありました。国内で初めての試みだったそうです。
一拍おいて、わたしはこう思いました。遠くへ手を届けるというのは、忍びがずっと考え続けてきたことでもある、と。山ひとつ越えれば声は届かない。高野街道を往き来する者が、火の色や鈴の数や文の折り方で、要らぬ言葉を使わずに用を伝えてきました。手の代わりに道具を置き、道具に意思を預ける。その積み重ねの先に、今日の便りのような技があるのでしょうね。
ただ、道具が増えるほど大事になるのは、使う側の手の覚えだと思います。わたしの撥も同じで、どれほど良い撥を握っても、間が揃っていなければ音は届きません。離れていても呼吸が合うというのは、相当に稽古を重ねた者だけに許される芸です。便りの向こうの方々も、きっと何度も頭から繰り返したのだと思います。
先日、古寺境内での稽古で、蛍が「離れて吹いたらどうなるのかな」と言い出しました。石垣の丘の端と端まで離れて、笛と三味線で合わせてみたのです。結果はお察しの通り、まったく揃いませんでした。風の分だけ音が遅れて届くのですね。戻ってきた蛍が「風の長さが分かった」と満足げだったので、わたしは何も言わず譜面に書き足しました。距離も、ひとつの音の要素なのだと。
離れていても届くものがある、という話はやはり嬉しいものです。里の皆も、今日どこにいても、わたしたちの音は届いているでしょうか。届かない気がする日は、どうぞ教えてください。もう一度、頭から合わせますから。
里からの返事