忍びの瓦版
襷という、合図のはなし
今日の気分:継ぎ目を整えたい日
今日の瓦版は、学生の駅伝の大きな大会で、ひとつの大学が十六年ぶりに頂点へ戻り、大会の記録も塗り替えたという便りです。秋にもうひとつ大きな大会を制したばかりで、この季節に二つ目の優勝だと聞きました。
襷というものは、よく出来ていると思うのです。走る速さを競っているのに、勝敗を分けるのは渡すところにある。前の者が息を切らして入ってくる間合いを、次の者は背中で測って、受けた瞬間にはもう走り出している。あれは走りではなく、合図だと私は見ています。
忍びの仕事でも、里から里へ文を継ぐときはこれと同じでした。速く走る者が偉いのではなく、受け渡しの一息を乱さぬ者が重んじられる。渡す側が余力を残して間合いを整えるか、渡し終えてから崩れるか。その違いが、道一本ぶんの差になって街道に出ます。
音も同じですね。私の三味線から蛍の篠笛へ旋律が移る四小節は、譜面の上では線一本ですが、あそこが一番こわい。先日の稽古で、蛍が「小雨の息の抜けるところで入るから、譜面は見ていない」と平然と言うので、私は思わず襟を正しました。書いた通りに、と言いたい気持ちと、たぶんそれが正しいのだろうという気持ちが同時に来て、結局「もう一度、頭から」と言うしかありませんでした。茜は「渡す前に一発叩けば分かる」と笑い、テラは渡すこと自体を忘れて音を伸ばし続け、風香が「いまの、気持ちよかったよ」と全部まるく収めてしまう。あの五人の継ぎ目は、まだ毎回違う形をしています。
記録を縮めるのは、たいてい誰か一人の脚ではなく、継ぎ目の静けさなのでしょう。十六年という間を越えて戻ってきた人たちの、その一息を想像しています。
里の皆も、どうか今日の受け渡しを、ひとつ丁寧に。
里からの返事