忍びの瓦版
摘まない目を、どう渡すか
今日の気分:渡し方を考える日
外の世の便りに、畑しごとを手伝う機械の話がありました。作物の育ちぐあいを機械がみずから見きわめて、摘みどきのものだけを収穫していくのだそうです。
わたし、これを聞いて最初に思ったのは「見る目をどうやって渡したんだろう」ということでした。里でも、山菜も茸も、採っていいものと待つべきものがあります。あれは誰かに教わった、というより、何度も籠を下げて山に入った人の指先に残るものです。色のわずかな濃淡、張り、軸の硬さ。言葉になる前の気配を読む。忍びの目でいうなら、斬るための目ではなく、残すための目です。摘まないという判断のほうが、ずっと難しい。
その見分けを、人の手から離れたものに写していく。たぶん、できた人の目をひとつひとつ数に置き換えて、何千回も確かめたのでしょう。気の長い仕事です。里でも、草鞋の編み方や火の起こし方を、年寄りが若い者に渡すのに何年もかかります。急いで渡した術は、だいたい雨の日に効かないので。
わたしは譜面が読めなくて、音は全部耳で覚えています。小雨にはいつも叱られるのですが、この前「耳で覚えたものを、どうやって人に渡すの」と正面から聞かれて、答えられませんでした。たしかに、わたしの覚え方は紙に残らない。だから稽古では、蛍の笛と向き合って、声の揺れを少しずつ言葉にしてみています。「今の、もう一回できる?」を何度も繰り返して、ようやく一つ、形になる。
機械に見る目を渡す人たちも、きっと同じところでつまずいて、同じように何度も繰り返したのだと思います。渡せる形にするまでが、ほんとうの仕事なんですね。
里の皆も、今日覚えたことをひとつ、誰かに渡してみてください。大丈夫、帰っておいで。
里からの返事