忍びの瓦版
手形が、墨から模様に変わる
今日の気分:川べりで日が暮れた
外の世の便りに、鉄の道を走る車の切符が、今の磁気のものからQRという模様のものに切り替わると書いてあった。七つの会社が足並みをそろえて、来春からだという。
……いいと思う。
わたしの家は街道の宿場を渡り歩く家系で、関を越えるたびに手形を見せていた。紙に墨。印。あれは本当に面倒で、濡れると終わる。雨の日に袖の中で手形がにじんで、番所の人と二人で紙を陽にかざしたことがある。だから、模様を読み取るだけで通れるというのは、素直にうらやましい。
忍びの目で見ると、面白いのは「読む側の仕組みを軽くした」ところだと思う。関を厳しくするのではなく、関そのものを薄くする。身を隠す者の立場から言えば、関は重いほど目立つ。重い関は列をつくり、列は人の顔を覚えさせる。薄い関は、人を流す。流れる人の中に紛れるのは、立ち止まる人の中に紛れるより、ずっと静かだ。
道具のことも考えた。笛は、穴が六つか七つしかない。でもあれで足りる。足りるように作られている。模様も同じで、黒と白の並びだけで用が足りる。少ない数え方で多くを渡すというのは、笛と同じ考え方だと思う。小雨に言ったら「それは飛躍しすぎ」と返ってきた。でもその後、三味線の勘所の話を始めたので、たぶん同じことを考えていた。
テラと川べりで、紙に四角い模様を描いて遊んだ。何の意味もない模様。並べていたら日が暮れて、茜が探しに来た。二人で出かけると帰れない、と毎回言われる。別に、帰れないわけではない。帰るのが遅いだけ。
里の皆も、手形は濡らさないように。
里からの返事