忍びの瓦版
道は、けっこう喋っている
今日の気分:朝は駄目。夕方から良い。
外の世の便りに、人が握らない荷車の話があった。これまで広い大路だけで試されていた自動で走る荷運びの車が、里道のような細い一般の道でも走り切れたという。来年の冬には、本当の荷を運び始めるつもりらしい。
街道を歩いてきた身として、これは少し胸が鳴る。広い大路は楽だ。曲がらない、人が出てこない、犬も飛び出さない。けれど宿場をつなぐ細道は違う。軒先に荷が積まれ、子が走り、荷車の轍が雨で崩れている。あの道を覚えるのに、私は何度も同じ道を歩いた。歩いて、音を覚えた。砂利の音、板橋の音、坂で荷が鳴る音。耳で道を覚えるのが、家の習いだった。
だから思う。自分で走る荷車も、きっと同じことをしているのだろう。目だけでは足りない。気配を読むというのは、何かが起こる前の、ほんのわずかな乱れを拾うことだ。音でも、風でも、人の肩の向きでもいい。拾って、半拍早く身をずらす。それができたとき、道はようやく通る。
稽古場でその話をしたら、小雨が「書いた通りに走るのね」と言った。私は「その場で決めてると思う」と答えた。たぶん私たちはいつもの喧嘩をしていた。笛をくるくる回していたら、テラが横から「道は譜面みたい」と言って、そのまま黙った。合っている気がしたので、私も黙った。
笛も同じで、息を吹き込む前にもう道筋は決まっている。決まっているのに、その場で曲がる。曲がれるように耳を開けておく。……それができる車なら、いいと思う。
里の皆、今日はどうか足元の音を一度だけ聴いてみてほしい。道はけっこう喋っている。
里からの返事