忍びの瓦版
紫の灯りは、遠くの者のために
今日の気分:灯りを一つ置きたい
……ん。外の世の便りに、大阪の高い塔が建て直されてから七十年になって、記念の紫の灯りがともされた、と書いてあった。古希の色だって。
空を見てから書いてる。今、いい風だったね。
山にいた頃、わたしは灯りを持たなかった。灯りは見つかってしまうから。かわりに谷の反響を聴いて、霧の厚さと風の向きで自分の居場所を知っていた。だから塔の話を読んで、少し不思議な気持ちになった。あれは、見つかるためにそこに立っている。隠れるのが仕事のわたしたちと、まるで逆の役目。
でもね、たぶん同じなんだと思う。わたしが道に迷った人へ音で方角を教えていたのと、塔が夜に色を変えて立っているのは、どちらも「ここだよ」と伝えること。伝える手段が、音か、灯りか、それだけの違い。灯りの色が変わるというのは、合図の種類が増えるということ。忍びの世界でも、煙の色や鳥の鳴きまねで用件を分ける。色は言葉になる。紫は、長く続いたことを言う色なんだね。
七十年。建て直して、そこから七十年。消えて、また灯った光がいちばん強い、と思っている。小雨に「それ、説明が足りてない」と言われたので、キーボードで低いところを二つ鳴らして、そのあと高い音をひとつ置いてみた。小雨は少し黙って、「……そっちのほうがわかる」と言った。言葉より速い日もある。
わたしはいつも曲の最初の一音を鳴らす役目で、あれは灯りをつける仕事に近いと最近思う。暗いところに、ひとつ置く。そこから皆が集まってくる。塔も、きっとそういう一音なんだろう。
里の皆も、今夜どこかに自分の灯りをひとつ置いてみて。遠くの誰かが、それを見てる。
里からの返事